日本のバイク史

国産バイク第一号である「島津モーターNS号」

日本で初めての国産バイクとして誕生したのが、1909年に発売された国産バイクの島津モーターNS号です。
外国輸入部品を一切使わずに日本製の材料を使って作られた純粋な国産バイクで、エンジンは4ストローク単気筒400ccを採用しています。

制作者は島津楢蔵で、もともとはバイクに憧れていたけれど高くて買えないからという理由で研究創作を始めた結果、22歳の時にバイクを完成させました。
オートバイが好きだからこその強い情熱が、現在の日本のバイクの元となっていると言えるでしょう。

躍進のきっかけ「浅間火山レース」

現在では世界各国にも認知をされている日本の国産バイクですが、発売当初はまだまだ知名度が低く、性能競争において見向きもされていない状態が続いていました。
そんな日本のバイクを現在の地位にまで押し上げたのが、浅間火山レースと言えるでしょう。

浅間火山レースは1955年に第一回が開催されましたが、レギュレーションとして海外製の部品の装着がNG、完全国内生産マシンのみが対象のレースとして開催されました。
一周19.2㎞の長距離コースで険しい山道やオフロードを駆け抜ける、非常に見応え抜群なロードコースとして世界各国から注目されることになります。
こちらのレースをきっかけに日本製のバイクの機能性の高さが注目されるようになり、世界にも日本マシンが認知されることになったと言えるでしょう。

浅間火山レースは開始と共に年々マシンの性能が高まり、パワースピード共に申し分ないマシンが続々と販売されましたが、その結果危険性が高まったこともあり、コースが見直しに。
国内バイクメーカーの共同出資や国土交通省の支援によって、群馬県の浅間山麓に1週9.351㎞の浅間高原自動車テストコースが完成しました。
こちらは火山灰と砂利道で作られたダートトラック専用サーキットとして誕生し、多くのライダーを魅了し続けることになります。

過酷な環境で走れるマシンが続々と誕生

このように浅間火山レースがきっかけで高性能なマシンが次々に発表されることとなりましたが、こちらにはコースそのものの過酷さもきっかけがあると言えます。
浅間火山レースコースはもともと標高1000メートル以上の高さのコースで、空気が薄い中走らないといけないためエンジンの調子が安定しにくく、未舗装の道が続き運転しにくい道が続いているコースです。

その為レースで勝ち残るためには性能を上げるほか無く、気がついた時には世界と肩を並べるほどのハイスペックマシンが誕生しました。
正に各バイクメーカーのハングリー精神が成せる技、ジャパニーズスピリットを感じるエピソードと言えるでしょう。