たたら製鉄の歴史街道をツーリングで楽しむ
砂鉄と森林資源が豊富にあった中国山地は、古くから製鉄が盛んに行われていた地方の一つに挙げられ、特に江戸末期から明治の初期にかけての最盛期には、日本国内の鉄の生産量の90パーセント程度を占めていました。
その当時の製鉄方法をたたら製鉄と呼びますが、たたらとは炉に空気を送り込む道具の鞴(ふいご)が当時「たたら」と呼ばれたことから名付けられました。
たたら製鉄が盛んだった中国山地にある島根県安来市・雲南市・奥出雲町は、3市町協力して昭和62年に「鉄の道文化圏」プロジェクトを企画して各市町に点在している鉄に関連した諸施設を道路で繋ぎ「ゆったり散歩道」と命名して積極的に広報しています。
散歩道と言うとチョットした短い距離に聞こえますが、実際はぐるりと一回りすれば約 170km もの距離があります。
今回は、中国地方で盛んに行われ明治期の日本の土台づくりに寄与した、当時の製鉄方法・たたら製鉄の歴史や文化の学習を兼ねて「ゆったり散歩道」をバイクで散歩するコースとおススメスポットを紹介いたします。
製鉄で栄えた吉田町に当時の活気を感じ取る
最初に目指す目的地は、江戸末期の松江藩の製鉄業の中心として栄えた「鉄師御三家」と呼ばれる名家の残る雲南市の吉田町です。
吉田町は国内のたたら製鉄の中心地と言われますが、吉田のまちは田部家(たなべけ)を中心として発展しました。
まちに残る田部家の多くの土蔵は、製鉄業と共に栄えた様子を今に伝えています。
この土蔵は、1700年頃~1900年にかけて20余り造られており、道の両側にずらりと並ぶように現存しているのです。
町並みは、当時の有力者が暮らしていた本町通りや製鉄加工場、職人が住む長屋等が効率的に整備されており、企業城下町として栄えた当時の姿、活気に満ちた様子が手に取るよう伝わるとともに、周囲の静けさに哀愁も感じます。
菅谷たたら山内で永代たたらを見学
吉田町の中心を後にして、5km 程度走った場所に、国の重要民族文化財である「菅谷たたら山内」に辿り着きます。
山内(さんない)は、たたら製鉄で働いていた労働者の職場や居住地域などの集落全体を指します。
菅谷たたら山内は国内でただひとつの「永代たたら」の遺構でとして高い価値が認められています。
「永代たたら」とは近世中期以降に考案された方法で、高殿を中心に元小屋、大銅場などの各種作業場が立ち並び当時の面影を今に伝えます。
従来行われていた手法は「野だたら」と言い、砂鉄・木炭を作る森林を求めて移動しながら、製鉄作業を行っていましたが、永代たたらでは作業場を固定化することにより、天候に関わらず生産できるため、大幅に増産が可能となったのです。
言ってみれば狩猟生活から農耕生活への移行です。
続いて奥出雲町へとバイクを駆って、御三家の残る2家である櫻井家(さくらいけ)住宅(含む:可部屋集成館)、絲原家(いとはらけ)と絲原記念館の見学がおススメです。