宇和島を訪れて見ずに帰れない「遊子水荷浦の段畑」
リアス式海岸に突然現れる「耕して天に至る」と形容されるエジプトのピラミッドのような段々畑です。
岬の急斜面に幅・高さとも1メートルほどの石垣が築かれ段々状にはるか山頂まで続きます。
昔の地元の農民が急な山の斜面に小さな石を苦労して積み上げて作ったという、農地を切り拓いてきた当時の人々の歴史の重みを感じ、壮大な造形の美に圧倒されます。
この段畑では、主にジャガイモ等を栽培しています。
段畑で収穫されたジャガイモは太陽の光、眼前の海面からの反射、温まった石段のトリプルの効果で温められ絶品です。
ジャガイモの収穫期は春で、例年4月には山裾の海岸沿いを中心に「だんだん祭り」が開かれますので都合が合えばいかがでしょう。
岬の町の狭い土地で暮らす半農半漁で生計を立てる人々に触れ段畑を見ると、人の逞しさと誇らしさを感じずにはいられません。
水荷浦の段畑は、眼前に広がる宇和海の美しさも相まって絶景そのもので、日本農村百景や「国の重要文化的景観」にも選定されています。
景観維持活動に当たっている「段畑を守ろう会」も高い評価を得ており、ふるさと愛媛創造賞をもらっています。
段畑の麓に「だんだん茶屋」があり、地元のフレッシュな野菜や魚をふんだんに使った食事を食べさせてくれますのでおススメですよ。
下波から遊子までの海岸は、黒島、御五神島などの小さな島に沈む夕日のオレンジ色が映えて、輝く海とのコントラストが何ともムード溢れる美しさを醸し出しています。
築城の名手の名高い藤堂高虎の会心の名城
宇和島城は別名で鶴島城とも呼ばれ、秀麗な天守を持ち、築城当時のままを維持保存されている貴重な建造物です。
最初に天守がつくられた時期は、関ケ原の戦いの翌1601年、藤堂高虎が築城した際、同時に造られたと記録があります。
城の外郭の形状は上側から見ると不等辺5角形を示しており、至る所に築城の名手と謳われた藤堂高虎ならではの独自の工夫が光ります。
高虎が今治に国替えになったのち、代わって東北地方から伊達家の長男がこの地に入り、その2代目のときに天守を中心に大修理を実施しました。
当時からの美しい姿が現在に残っているのです。
また城山の北登山口に桑折氏武家長屋門が残されており、市の指定文化財として大切に保存されます。
現在でも間口が15メートルあり、もともと建造されたときは35メートルもある立派なものでした。
昔は南登山口と天守とのあいだに7つの門がありましたが、現在残る門はこの門のみで、門を通して見上げる登山道の石段には歴史の重みを感じます。
歴史を感じさせる庭園「天赦園」
天赦園は四季折々の風情が水面に映る歴史ある由緒正しい庭園です。
公園の名前は伊達政宗にゆかりがあると伝えられます。
激動の幕末に四国の土佐藩が歴史の主役として登場したこともあり、国事斡旋の舞台としても利用された大名庭園です。